58|伊藤野枝『野枝の手紙』
すこし甘えたくなったから、また手紙を書きたいの
野枝の話し声が聞こえる
「新しい女」「恋愛の天才」「野狐さん」と散々に評される伊藤野枝。28年の生涯に、三度結婚し、七子をもうけ、雑誌を編み、みずからも論じ翻訳して全集四巻の文章をのこした。三十路の物憂さ、大杉家の長男の嫁としての気配りなど、その私信からはいきいきした野枝の話し声が聞こえる。
著 者
伊藤野枝
編 集
大杉豊
読 者 対 象
仕 様
四六判(190 × 129ミリ)192頁
ISBN|Cコード
978-4-907511-61-6|C0095
用 紙
製 造
初 版
2000部|2018年3月下旬予定
目 次
Ⅰ 残された手紙
『青鞜』から「恋の往復」へ
獄中見舞と同志・身内へ
Ⅱ 著作にあらわれた手紙
恋愛事件の顛末――伊藤野枝「動揺」から
実感のセンチメンタリズム――大杉栄「死灰の中から」より
『青鞜』の譲渡劇――平塚らいてう「『青鞜』と私」から
辻潤との別れ――伊藤野枝「この頃の妾」
新時代の子の為に(アンケート回答)
伊藤野枝年譜
解説(大杉豊)
著者略歴
伊藤野枝〈いとう・のえ〉1895(明治28)年、福岡県今宿村(現・福岡市)に生まれる。東京の叔父に懇願して上野高女に編入学、卒業。親の決めた結婚を嫌って、婚家から九日目に出奔。上京し、女学校のときの教師・辻潤の胸に飛び込んで同棲。女性文芸誌『青鞜』の編集を担い、貞操・売春・堕胎など女性解放への論陣を張る。辻と離別後、大杉栄と結ばれ、神近市子との三角関係から葉山・日蔭茶屋事件が起こる。大杉の目指す社会変革の運動を支援し、『労働運動』など機関誌刊行や同志連携の活動に従事。女性の社会主義団体・赤瀾会では顧問として活動した。この間、辻との間に二人、大杉との間に五人の子を出産。また、創作、評論、翻訳などの著作を数多く発表し、後に『伊藤野枝全集』全四巻に収められる。1923年、関東大震災の混乱のなか、東京憲兵隊の甘粕大尉らに拘引され、大杉栄と六歳の甥・橘宗一とともに虐殺された。28歳だった。
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