第5話 俺、美容師になるよ




 

 

 

 受話器を持つ手がふるえ、声がふるえた。 

 

 ガチャンと電話を切ると、「バクン、バクン」と心臓の音が骨伝導のように聞こえた。 

 

 好きな女の子に告白の電話をしたわけじゃない。

 生まれてはじめて、美容室に予約の電話をしたのだ。

 

 *

 

 数日後、その日は来てしまった。

 正直、恐くて、はずかしくて、うれしくて、逃げ出したかった。

 

 オシャレな先輩が通っているオシャレなサロンへと、僕は足を踏み入れた。

 

「うわぁ、スゲェ!」

 

 そこはまるで、刺激と興奮のパラダイスだった。

 インテリア、音楽、そしてスタッフの人たちが織りなす雰囲気と空間に僕は酔いしれた。

 

 その日の会話で覚えているのは、「ウルフにしてください」の一言だけだ。

 完全に舞いあがっていた。

 

 担当してくれた女性の美容師さんのことは、今も鮮明に覚えている。

 彼女は、僕の単なる「髪の毛」を「HAIR」というデザインに変えてくれた。


 *

 

「俺、美容師になるよ」

 

 帰宅して、第一声で言い放った。

 母は笑っていたが、僕の心は止まることなく走りだした。

 

 翌日からというもの、頼みこんで、クラスメイトの髪をカットさせてもらい、その楽しさと喜びを僕は胸いっぱいに感じた。

 

 *

 

 人生の進路なんて、これっぽっちも考えたことのなかった自分が、たった一日の経験で、一生の仕事と出会った。

 

 今まで、美容師という仕事を「生きがい」としてやってこられているのは、まわりの人たちのおかげだ。

 そして、もちろん、16歳の自分を導いてくれた直感と本能にも感謝している。

 

 

 

2011年8月28日

第6話「プライベート トップスタイリスト」につづく

写真:宥海(Junior Suite)
写真:宥海(Junior Suite)

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